●『酒乱』の一編

わたしがはじめて現代詩を意識した一編

(第ニ回 詩仙かをり 二〇〇八年四月二十七日)



銀水録

小川三郎

笑い声が懐かしくて

波の上に 声を重ねた。

たちまち弾けて

粒子になった。

うれしいか。

ぼんやり透ける縮んだ光を

手繰り寄せて

あなたに見せる。

そこで動き回る虫は

光の速度を追い越せなかった

古い記憶だ

視線の途中で崩れてしまう。

残った欠片は波間に沈んで

細い遠吠えを隠している。

液体金属で出来ていた私たちの会話

流し込み ろ過しあい

伝達しあった私たちの言語。

それは常温から生まれ熱を遡り

なんとも知れぬ空へと気化した。

夜を抜けるための唯一の道具。

私たちは常に言葉を傷め続け

その輪郭を更新した。

美しい模様、形、色、

じわり染み出る感情、平和、濃淡、真偽、

金属質ならなんでも映せる。

私たちは交互に分割され連続し

螺旋を思いついたのはあなただ。

肉体は私たちの意図を理解した。

そして凝血

述語が剥がれ落ち肌が露になったあなたの匂いに

胸は形を失念した。

私たちが握り締めていた共通の

自滅と称する正しい線。

とうとう私たちは眼になり

その奥に無数の虫が折り重ねられ

倒れそうに揺れながら倒れないその形が

植物に似ていることを知った。

そんな私の笑い話に

あなたはじっと耳を傾けている。


幼い頃から美術が好きで、本質を捉えることをささやかな資質としているわたしは、現在、美術大学で哲学の教鞭を執ることを、主な生業としている。

すべてが芽生えてゆくような二〇〇七年四月、まだ、哲学とはどんなものか、興味津々で眼を輝かせている、計三五〇名の学生に向けて、小川三郎「銀水録」(『ポエームTAMA』[二〇〇七]所収)を朗読した。前日の夜、「わたくしの存在」のグランドデザインを考えている際、突然この詩を読もう、この詩でなければならない、という根拠のない確信を得たのだ。

九十分の授業における、たった一分の朗読。そのわずかな時間の流れのうちに、混沌としていた思考空間が沈黙の一点に集中する、その瞬間を、わたしは自分の身体を通してはっきりと感得した。その一点は、学生とわたしとが、一篇の詩を介して宇宙の中心で出会う、奇跡的な瞬間であった。

この作品のモチーフは、きわめて個人的な抒情である。だが、その抒情の力動性は、記憶、他者、言語、植物といった、哲学の基本的な問いのほぼすべてを、概念においてではなく、感性において、一瞬のうちに刻み込むことを可能にしている。

授業後に書かせた授業の感想において、この作品に言及してきたのは、主に絵画専攻の学生であった。絵画も哲学も詩も、物理的には何の役にもたたない。そして、役に立たないからこそ、世界と他者と、無限に、永遠に、ダイレクトに繋がってゆける。そこに、社会性や個人史から解き放たれた真の「わたくし」が、確かに存在する。そんな眩暈が駆け抜けていった、さわやかな春の一日であった。



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