●『酒乱』の一編
わたしがはじめて現代詩を意識した一編
(第一回 廿楽順治 二〇〇八年四月八日)
河童の墓
わたくしはあなたの知らないうちに
お尻から手をつきこんで
あなたの生きぎもとはらわたを
いただいていますありがとう
そのおかえしのお礼として
わたくしの懐中電灯をあなたの
おなかのなかに残してゆきます
さああなたのなにがうつるのでしょうか
もちろん電池仕掛ですから
やがて消えもするのでしょうが
つまりはその懐中電灯がわたくしの
墓というわけあいのものなのです
近代詩と現代詩なんぞという区分はどうでもよい。問題は詩なのだ、という考えはよく分かる。まあ、理論的に言えばそうなのだろうけれど、ごく個人的な体験に照らすと、これがどうも難しい。山村暮鳥の初期詩篇にびっくりし、朔太郎のいやらしくねちねちした詩篇をひとり舐めてはいたものの、彼らの真似をしてもどうもうまく書けない。確か中学三年生の頃だ。早熟な同級生に中央公論社の『日本の詩歌 現代詩集』というアンソロジーを紹介された。引用したのはその中の一編。同級生が「こいつはどうだい」とそそのかした一編だった。
というわけで、この一編から中公のアンソロジーを読むことになった。このアンソロジーは一九七〇年の発行で、本文の下欄に伊藤信吉、村野四郎、小海永二が鑑賞文を書いている。少し古いこともあって、『四季』の津村信夫から始まっている。今の現代詩というイメージとは少し違う編集になっていた。
「河童の墓」が作品として、これが他のものを凌ぐようなものかどうかは分からない。けれども、入口というのはこんな風に、突然開くものなのだろう。今でも自分にとっては特別な一編だ。トラウマと言い換えてもよいかもしれない。文学少年でなかった自分にとって、「詩とはおもしろい言葉のことだ」という認識は、敷居をまたぐ上でとても重要だったと思う。
しかしこの後、詩集『炎える母』を読んでしまう。「戦後詩」とやらの重い扉もまた開いてしまったのだった。
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